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ロマンティックリムジンドライブ

2011
08
August

1年前の誕生日。ちょっと綺麗めな服を着て彼氏に連れ出された。道路の前で待たされること数分。目の前に現れたのは長いリムジン。ここは六本木のイルミ光る大都会、街行く人々は好奇な目でこっちを見る、急いで乗り込み運転手さんとマイク通信。シャンパン付きでサンルーフから顔をのぞかせると外人に「ヘーイ!!」といわれた笑お台場に行き、海辺を散歩。ルートは好きに選べるそうだ。そして再び乗り込み高速を使い一途我が家のある葛飾某所へ。こんなド田舎にリムジンなんて…夜遅くてよかったです…。映画でしか見たことないながーーいリムジン。レンタルサービスがあるそうです。彼女をサプライズさせたい彼氏さん、これは喜びます。是非に。
 ■長女の母校で呼びかけ

 今年も被災地に鎮魂の朝がめぐってきた。阪神大震災から16年を迎えた17日、遺族は身を切る冷気にさらされながら失った最愛の人を思った。余震が続く震災2日後に誕生した被災地の子は高校1年生になり、希望を胸に抱く。歳月は流れて震災を知らない世代も増え、そのことに心を痛め、遺族は記憶を語り継ごうとする…。だが、思いを受け止める子供たちの笑顔は青空のように明るい。その笑顔が、被災地の人たちを救う。

[フォト]「今なら命救える」被災の少女、救命医に

 「みなさんの中に、(同じように)亜希子がいたと思うと、今でも胸がいっぱいです。何年たっても『地震』と聞くとあの日に戻ってしまい、心臓がつぶれそうです。みんなも悲しいことやつらいことがあると思いますが、今日のことを思い出して、命を大切に生活してください」

 阪神大震災で長女の亜希子さん=当時(11)=を失った神戸市須磨区の浅井鈴子さん(57)は震災から16年を迎えた17日、亜希子さんが通っていた西灘小学校(神戸市灘区)で全校児童に、呼びかけた。

 同市灘区の自宅が全壊。いっしょに寝ていたのに、気がつくと鈴子さんと亜希子さんは離ればなれに。「お母さん、痛い」「亜希子、頑張れ」−。互いの不安を打ち消すように暗闇の中で名前を呼び合った。

 昼ごろになって、がれきの下から助け出されたとき、「お腹がすいた」と、いつも通りに話す亜希子さんにほっとした。しかし病院へ運ばれた亜希子さんは急激に衰弱。不安げな鈴子さんに「お母さん、大丈夫やで」と最後の言葉を残し、亜希子さんは2月10日に亡くなった。当時はまだよく知られていなかったが、長時間身体が圧迫されることで突然容体が悪化する「クラッシュ症候群」だった。

 「同じ場所で寝ていたのにほんの数センチの差で助かった。なぜあのとき代わってやれなかったのか」。亜希子さんを失ったショックから何も考える気になれず、ただ習慣のように日々を過ごした。家族が見ていない、一人になると泣きくらして過ごした。

 だが数年が過ぎ、「亜希子のために何もしていない。あの子は卒業証書ももらえないのに…」と思い立った。西灘小学校へ依頼し、平成12年に時計が設置された。台座のプレートには「あの子は天使です」という鈴子さんのメッセージが刻まれた。

 一方で気持ちを取り直した鈴子さんは、命の大切さを伝えようと、子供たちへの語り部活動を続けてきた。

 しかし、震災16年を迎えようという昨年暮れ、再びショックな出来事があった。西灘小に、モニュメントが設置された経緯を知る関係者がいなくなったというのだ。「きちんと時計の意味を知ってもらいたい」−。鈴子さんは、再び同小で講演することを決めた。モニュメントが設置されてから、11年がたっていた。

 「震災を知らない次世代の子供たちに命ある限り一生懸命生きてほしい」−。鈴子さんはメッセージにそんな思いを込めた。


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 「防災とボランティアの日」の17日、福知山市は職員の緊急連絡体制・初動体制の確認訓練をした。大地震の発生を想定したもので、職員の危機管理意識の徹底を図り、緊急時の体制を確保する狙いがある。小学校では避難訓練が行われた。

  16年前の1月17日に発生した阪神淡路大震災を機に設けられた「防災とボランティアの日」。訓練は、17日午前6時30分、三峠断層を震源とするマグニチュード7・2の地震が発生し、市内では震度6強を観測、各地で家屋の倒壊や道路の損傷など甚大な被害が出ているという想定で取り組んだ。
 
 午前6時30分から、一部の職員を除いて部内の緊急連絡網で全職員に電話連絡をし、緊急連絡体制を確認。地震発生で甚大な被害発生の模様で、被害状況を収集しながら登庁することなどを伝えた。
 
 また、市役所本庁舎、支所の近隣に住む職員らに市長が指名している緊急初動特別班の職員(本庁31人、支所30人)は、被害発生状況をイメージしながら徒歩、自転車、バイクなどで出勤し、庁内のメールで総務課へ被害状況を報告。総務課防災係の職員10人は、情報共有のため仮想の被害状況をホワイトボードに記していった。
 
 総務課防災係では、大雪による被害状況などの把握業務もあり、地震想定の訓練と重なり、対応に追われた。
 
■惇明小学校では避難訓練■
 
 内記五丁目の惇明小学校(端野学校長、535人)では、震度6の地震を想定して全校児童が避難訓練に取り組んだ。
 
 午前10時10分、非常ベルが鳴り響き、各クラスで授業をしていた児童らは、校内放送を聞いて一斉に机の下に入った。
 
 そのあと「おはしも(押さない、走らない、しゃべらない、戻らない)」との先生の指示を守って、集合場所の体育館に移動。端野校長は、集まった児童らに「阪神大地震のような震災が発生したら、助け合いの心を忘れないでほしい」と話した。


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